母校小田原高校

母校へ半年以上振りに出かけた。後輩の卒業式を祝いに。
所属していたJAZZ研究同好会は毎年部員が一学年三人ずつで、今年の卒業生もその例外でない。特に僕の愛す後輩がいて、そいつはFという。Fは音大志望だ。昔Fが音大を志望することについて先輩はどう思いますかって言われたときに迷わずNOと答えたが、彼はそれでもやる気だった。小田高のとある心無い教師の「F君は受からないよ」的な発言を直接受けたりして、それでもなお自分の道を貫き、音大受験のために一時はJAZZ研を辞めようと思ったときに僕が引き止めて、それでなおJAZZ研で積極的な活動をしてくれたF。人間として非常に変わったやつだが、後輩といいつつ僕は彼のことを尊敬してやまない。Fは方向性は違うにせよ僕のかなわなかった夢を体現しているかのようで心から応援している。


・・・そんなFは今日卒業式に欠席。卒業式後の部の集まりにも姿を現さない。何かあるに違いない。とにかく僕は彼に電話をかけた。まだ試験が続いてるらしい。さすが音大。
僕はFがその夢をかなえること、また正直者はバカを見ない世の中だということをこの目で見届けたい。Fは迷惑がるかもしれないが、僕はFを心から応援する。



これはKらたが言ったことだが、「いっこ下の代が卒業したことで改めて自分が卒業したことを痛感した」ということには全く賛成だ。自然なうちに高校生活が終わって大学生活にフェードインした一年だったから、落ち着いて高校卒業を痛感することは無かった。
そういえば今日、小田原に向かう途中、中学三年の時の高校受験からの三年間が走馬灯のように・・・不安で長い距離を忘れていた小田急線、いつしか長ったらしく三度寝できるようになった小田急線、鬱になる急な坂と百段坂(という名の階段)、夏は汗をかかずにはいられなかった。僕の父も使ってた校舎、暇なときにギター弾いてた部室、僕のことを嫌う先生。
僕が卒業して行っても小田高は何ら変わらぬ日々を送っているようだったのはなんだか寂しかった。


それから僕はいつものようにマシンガントークを炸裂したのだが、Kらたが帰りに、僕の発言、いや生き方として間違っていることを諭してくれた。いつもなら反発しようというところだが、素直に彼の言っていることを認めざるを得なかったし、恥ずかしい気もした。素直に受け止めた。そういう風に自分の悪いところを率直に指摘してくれる人がいることが嬉しい。

今日は自分が卒業をした気分にもなった。


家に帰って、高三のクラスの集まりがあると聞いて、更に「あの卒業式の後のクラス会から一年か」と思った。
高校時代にタイムスリップしたような一日だった。