責任

夜のニュースできいた話。ヒューザーの小嶋社長が行政を相手取って訴訟を起こしたが、これに負けると事実上住民への救済が行われなくなるという。彼はあまりに大きい責任を負ってしまったから他にも負担せよというのだろうが、いかがなものか。
住民救済について、ヒューザーはもちろん国からの救済については感情的には賛成したいが一方で一切の感情を排除すればこれは※銀行と郵貯のリスク負担の違いに似ている気がする。
小嶋社長にかつての力強さはない。もし僕が今の彼の立場におかれたら生きていけないと思う。彼は文字通り取り返しのつかないことをし、責任を負う立場となった。あそこまでいくと余生を不可避で不可逆なシナリオを生きることになるのだろう。もう再起はできまい。そんな人生をこれ以上生きる意味はあるのか、責任で押しつぶされないか。ただ人間として頑張って生きて欲しい、今の責任から逃れることなくかつつぶされないような、そういう生き方の見本となるのが今彼に残された人生の課題であろうか。とにかくもう彼をこれ以上追い詰めず、冷静に事件を片付けようよ、って思う。

※銀行と郵貯のリスク負担の違い
銀行が破綻したときの損はその銀行に口座を設けていた人が負うが郵貯が破綻したときの損は郵貯に口座があろうとなかろうと国民の税金によって負われる。郵貯に口座を持っていない人にとってこれは不公平であるからという観点でも郵政民営化が議論されている。
本文の注釈として、本件のように誰が今回の損を埋め合わせるのかというときに家の販売・購入者という限りを超えて、国民の血税から支払われるのはいかがなものか、と思った。なお、この注釈自体があまりいい説明だとは思わないし、正しいと保証できない。