「手紙」に感銘


手紙 (文春文庫)

手紙 (文春文庫)

手紙がすごすぎる。
あとがきにだいたいこんなことが書いてある。
A day in the lifeの制作で、John役をある役者に決定した。が、オノヨーコがそれをキャンセルした。なぜか。
その役者の名前が「マークディビッドチャップマン」だったから。
この名前はジョンを殺した犯人と同姓同名なんですよね。無論別人ですが。
で、ぜひ自分で読んでほしい作品だからネタバレしないように簡単にこの本を読んで学んだことをあげると
自分の境遇って、自分のせいで決まったり、自分以外の人のせいで決まったりする。
自分の人生を振り返れば、親のせいで変に頑固に育ったし、自分のせいでひねくれ者になったし。
そんなのまだ些細なほうじゃないか。
そして、一度それが定着すると、自分の力だけではどうにもならない「壁」ができてしまう。
作品中にも俺と同じ「壁」っていう表現が出てくる。
この壁を越えるには、並大抵のことじゃぁだめなんだってことなのさ。


じゃぁ、俺はこの並大抵のことではどうにもならない壁の前で何をしているのかといえば、これまでは確かに楽なほうに楽なほうに逃げていた。確かに心理学的に、いやなことはいっぺんに受けるほうが楽でいい。
その間に壁がますます巨大になっていくことを知らずに
だからね、本を読むことにしたの。
しかもできるだけ、これまで避けてきた小説だとかその類を読むようにしている。


人間って表現力が問われると思った。
話の面白いやつは社会で成功するし、みんなに好かれる。同性にも異性にも、とにかく話のおもしろいやつはひきつける。
だから、いずれにせよ、表現力っていうのは身につけるべきで、そのためには、まず相手(敵)を知らねばなるまい。だから、俺のように、自分と似た相手を想定して話をしても相手には理解してもらえない、もしくは自分に似た他者にしか理解されないわけだ
そうやって俺はどんどんどんどん視野を狭くしてしまった。
見るものすべてにいちいち立ち止まってしまった。
非常に無駄な時間をすごしてきたことに、やっと気づいた。
視野が狭いってことは中学一年の担任に指摘されていた。でもつい最近まで、その意味がわからなかったけど、そういうことか、自分の世界の中でしか生きてこなかったってわけか。まさに俺はNowhere landの住民だったわけか。おれはここにいるのに、まわりからみればいない、そういう世界。自己と他者の間に非常に大きな壁を作っていたことにいまさら気づいた。
よく冗談で俺の精神年齢は8歳だとか言ってるけど、実際にそうなのだろう。あのころから俺はキャラを作り、周りはレッテルを貼り始めた。



さぁ、過去のことをうだうだいってもしゃあない。まずは、本を読んで、いろんなことを知ること。
そして小説は経済学の本と違って絵で解説されることがない。つまり文字だけでなにかを表現しなければならない。だからこそ表現の仕方ってのが身につくと思い、さすれば少しでも表現力がついていけば先述したことが達成されるのではないかと信じている。





と、あまり生き方を述べるのは好きではないので以上にしておいて


今日はこれから「嫌われ松子の一生(上巻)」を読んで寝ます、いやもう寝るか、どっちか?
とにかく何にしろ、興味は持つにこしたことはない、ただ中途半端に投げ出すな
焦るな、しかし止まるな
がんばれ、しかしがんばりすぎるな



スタジオに金を吸い上げられる。