I dig a pony

アメリカのやろう、勝手なまねばかりしやがって!


一番有名なのはアメリカで当初発売されたI saw her standing thereははじめの1,2,3,4がまるでHGのように「フォー」ではじまって、売れ行きの方はずっこけるっていう


でI dig a ponyっていうのはもちろんDig a ponyのアメリカ版なわけなんだけど、そういえばビートルズを本気で話せなくなるんだなぁって思った。

一年前、Revolution9は音楽か芸術かそれとも何なのか、真剣に語り合ったのが懐かしすぎる。帰ってこない時間を振り返ることは無意味だから、今日は懐かしい曲を一人でやったわ。
ビートルズの楽器はけっこうそろっているから、曲ごとに楽器を変えるくらいの大作業でした。
一年前、With the beatlesBBCだけはついていけなくって、必死で練習したこともあったなぁ。

なんでだろう、振り返らないように、前向きに生きようと思ってできるだけ多くのビートルズの曲を多重録音すればするほど、一曲一曲に付随する思い出が泉のようにわいてくる。

アイウィルとか、あとはべサメムーチョとか、っていうかベサメなんかが思い出の曲になっちゃったのってなんだか笑っちゃうよ。














そんな感じで明日は一度も授業に出ていない統計学と半分しかでてない経済学のダブルヘッダーだというのに、僕は失ってはいない記憶を整理して、そうすることで気を紛らわしていたんだ。

まぁほんの60年かそこらの間だけ会えないだけだよね。

わかったことは、人に強いも弱いもない、っていうことです。全ての感覚はどう受容するか次第であって



やっぱりだめだね。正直落ち込んでいます。
それこそ、自分のなかの幸せを見出すために自分が不幸だだなんて認めないようにしてきたんだけど、それでもやっぱり今だけはそういう気持ちにはなれません。

多重録音して思ったことは、なんだかもう楽器を扱いたくない、ってことです。復帰を待って、気づいたら決してかえらなくなってしまった彼をそれでも待ち続けているような気がして、どうも楽器に触れれば触れるほど現実逃避的な感情に襲われるのです。
彼のいないこの世界で生きるってことがどういうことか、僕にはまだわかりません。



彼のいないこの世界でもうビートルズをやることができない気がします。それはジョン亡き後のビートルズみたいなものです。彼はジョンが大好きだったんだ。



僕は彼のほんの数年しか知らないのだけれど、その数年だけでも彼の感じていたことの多くを知ったつもりだし、でもそれ以上に、なんと言うかもうやりきれないよ。
携帯のアドレス帳をふと見て、せめて残ったものを大切にしようと心から思った。



ささ、勉強しなきゃ勉強。