ビートルズをやること


昨夜、酒の場でポップス研の人とかと話し合ったが、「ビートルズをやること」とは何か。
剛さんに昔「剛さんは音楽が好きですか?それともビートルズが好きですか?」と聞いたことがある。剛さんははじめ意外な顔をしていた。「つまりめしだは音楽とビートルズは別って考えてるのかぁ。なるほど。」といって、そう言われればと剛さんはビートルズが好きだと言った。


別にだからいいとかわるいとかじゃないんだけど、いくらビートルズ系サークルに属してるとはいえ、音楽をすることがすきでも「ビートルズをすること」が好きな人は多くはない。もしくは両者の違いを勘違いしているかだ。
前者は個性的で、自分の好きなように音楽を演奏し、中でもビートルズをやる、っていうことである意味
後者は役者として、ビートルズを演じ、日ごろからそれを意識して、ライブでは特に音楽をやってみるか、って意味。
要約すると、前者は音楽→ビートルズアプローチで、後者はビートルズ→音楽アプローチといえる。


多分、人の評価を求めるなら、前者の方がうけはいいよ。後者は悪く言えばオタク以外の何者でもない。
しかし、俺はビートルズが好きなんだ。他の音楽も好きだけどビートルズが人間として好きなんだ。彼らの生き様が好きで、その一部の音楽を再現しようって思うんだ。
そうするとやっぱり俺は少数派になる。
時に人の評価が気になる。そういう時、自分と同じようにビートルズ→音楽アプローチをする人とバンドを組んだり語り合うことが何よりもの幸福なわけだ。
しかしながら、俺の所属するKOビートルズ研究会には、健全な人が多く、恐らく俺以外の会員は皆音楽→ビートルズアプローチなのである。だから非常に浮いてしまう。時には嫌悪さえありえる。だからそろそろ俺もビートルズ→音楽アプローチは店じまいして、音楽→ビートルズアプローチに改宗しようと思ってきた。


あ、あくまでサークルの話ね。サークルでは江戸時代のキリスト教徒みたいに、息をひそめて、それ以外のところではしっかり自分のやりたいように生きて行こうとは思うのよ。
人と協調するっていうのは、多分、求められるまで自己を潜めることで、まずは相手をたてることからはじまるのではないかと思うのだが、どうなのかな


とりあえず今まで人のことを考えずにでしゃばりすぎたよねorz








ところで、ゼミ試の勉強をね、とうとう本格的に開始しているわけですが、科目数多いのでやばいね。
時間がない!


NHKでやっていた世界から見た日本という番組が良かった!
今回は日露戦争がアジア民族の独立機運に与えた影響をうつしていたのだが、ファンボイチャウ・東遊運動やら孫文やら、大学入試でよく勉強したなって思った。
何だかんだで歴史教育はよくできているんだなって思う。
特に日露戦争は世界史上では不可欠だよね。
あの世界最強のバルチック艦隊を無傷で壊滅させた、これぞ日本のinsularism


ちっぽけでも、質で勝つ
持ってるものは最大限に!