極大化と最大化についての省察

この二日間、ネットが使えなかった。
まぁ使えなくても何もすることがないからいいんだけど、ちょっと嫌だよね。
何でも、必要不可欠なものでなくても、使える状態にないと気がすまない、そんなものでしょう。


でね、使えなくなった理由ははっきりしてるんだ。新しくインストールしたウイルス対策のソフト。
こいつをぶちこんだ瞬間につながらない。
うーむ。
どうやら原因はウイルス進入防止システムにあった模様。

そりゃー、インターネットが一切使えなくなったらウイルスも進入できねぇなぁと、関心、している場合ではない。これでは防止どころか単なるオフラインじゃねえか。



というわけで今はこのウイルスソフトを切ってオンラインなわけで、ですのでみなさん間違っても俺にウイルスを送らないでくれ。一発でKOする




ここで極大と最大の違いを感じるわけですね。
ウイルス進入防止の効果を最大化するのならオフライン
これでは意味がないので「極大化」を「ある条件下において最大化すること」と定義すると、まさにいまウイルス進入防止の効果を極大化したいわけです。


人生なんでもうまくいくわけじゃないから最大化を唱えるのではなくて
今おかれた現状でできるだけ最大化する、極大化を目指して生きなきゃいけないんだぜ



人生の最大化とは夢、極大化とは現実を見据えた夢である―Tomoyuki Iida




身の回りを見ていると、自分を含めて、最大化しようとする人が多すぎる。もちろん最大化は限定条件を考慮していないから、最適値をとれないことが多い。定義域を越えるからだ。
しかし、極大化する人は、定義域外にある叶わぬ夢を棄却し、定義域における最適値を求めるから、このような生き方をするといいと思われる。


俺は音楽の才能に恵まれなかったので、音楽家になるというのは定義域に入らない。だからこの夢を棄却し、アマチュアなりに音楽を目指す、という定義域内における効用の最大化を目指す=極大。



みごとに読む気のなくす文章ができあがった。
とりあえず言いたいことを出来るだけ「つまらない」コトバで表現してみた。
みなさんも「人生の効用極大化」を目指してください。最大化人間を嘲笑するのもいいでしょうけど。





今から新宿に繰り出します。
今日は昼間から勉強もせずにポップス研を見習ってずーっと歩き回ってたので既にくたくたです。悪しからず。