Keep on keepin' on

とは、読んでた作品中の曲の歌詞です。
こういうのが英語のいいところで、日本語にすると「続けることを続ける」みたいなちょっとややこしい表現になるのかな。
She said she saidとかもね。

言葉遊びは僕は好きなほうです。
言葉遊びといえばジョンレノンなんだけど、今日はあえてポールの言葉遊びというか言葉の柔軟性について考えた。
Maybe I'm amazedの中にでてくる歌詞がたびたび変わってるんですよね。
たとえば
Wipe me when I'm wrong(間違ってるときは直して)→You're right when I'm wrong(君があってて僕が間違ってる)
とかね。
文字が変わっても発音と内容があまり変わらない、そういうのも大事なのかな。



Nowhere manの詩の深い意味が少しわかったかもしれない。
あれは周りから見たジョンのことを客観的に見ているのだと思ってたけど、実はジョンから見た内面的なジョンかもしれない。
Nowhere manの意味はおそらく「そこにいていない人」って意味だから、日本語だと一人ぼっちって訳になってるけれど、あれは誤訳だね。
一人ぼっちだと周りから見て「あいつ」が切り離された状況だけど、そうでもない。ジョンレノンが一人ぼっちだったって?
違うんだな、多分。
俺が思うに、「そこにいていない人」はかつての自分と今の自分のギャップで、本当の僕はどこにいるんだろう、存在はしてるけど、中身はまるで留守だなぁ、っていう意味だと思ってきたんだ。
どう?そう思わない?

特にそう思ったのはYou don't know what you're missingの箇所なの

つまり自分はこうして生きているけれど、中身は空っぽで、本当の自分はどこにいってしまったの?ってことなんだよ。
そして、一人物思いにふけると、周りの声が耳に届かなくなって、世界は思いのままに動かしたけど、どうも肝心な内面が空虚な気がする、ってことだと思うんだ。



そう思ったのは、突然だった。



さて、そう思うと、今の自分は留守な気がしている。
本当の自分とは?
自分でもわからない。
今のままだと、仮の自分が本当の自分を追い出して、俺の身体と精神を乗っ取りそうな気がする。
もうキャラを作るのをいい加減にやめたい。
俺はせいうちじゃない、ジョンだ、っていう言葉にあわせて
俺はメシダじゃない、Tomoyuki Iida