ヘフナーキター

苦節六年、やっとこの僕もHofnerユーザーになれる。
思えば高校時代、予備校の前に、グレコのバイオリンベースに目を奪われ・・・あの頃を思い出すと、うーむ、懐かしい


今日は川崎二郎に行ってきました。あそこの店は駅から遠いけど雰囲気はいいし、客思いだし、おいしいし、大好きだ!


さて、明日はHofner取りに行って、それから三田二郎食ってゼミ説ですな。


つか最近二郎行きすぎですね。自分でも意味がわかりません。でもあの列といい、一度目にしたときのドキドキ感がジェットコースターそっくりなんですよね。ただ、あれが本当に日常になった日には終わると思うorz


K村君とSょうじさんに見られたらしいけど、最近読んでる「おいしいコーヒーの入れ方」がいい!若い!若さゆえの心境ってのがいい!
こういうとき、こう思うなぁって。



それよりもいいのは星の王子様。あれ、あまりに感銘を受けたので今三周目。
一輪のバラの「かけがえのなさ」
僕はみなさんにとって何者ですか?他の60億人となんら変わらない人ですか?それともどこかで僕のことを思い出してくれますか?
いや別に思い出せ!って言ってるんじゃないんだ。逆に僕がみんなに「なついて」もらえているのか考えてみた。
そう、これまでの人生を振り返れば、酔っ払う恥ずかしさを忘れるために酔っ払う、そんな人生だったように思えてきてならないのだ。
もっと具体的に言うと、友達より勉強を優先して孤立していくのを忘れるために勉強したり、そんな感じ。
それって結局他のためになっていない。For no one
互いにためにならないと何も「モテ」ないということだね。
「モテ」ない人は人に影響を与えない。だから「モテ」ない。
別に異性に「モテ」たいって限定してるわけじゃぁないんだ、そうじゃなくって、人間として「モテ」るには、互いに役に立たないと。
それを連想させるような話が星の王子様に出てくる。
あくまでこれは僕の解釈だけどね。
どうなんだろう。
僕の解釈は歪んでいるかい?



ソ連の「心の移民」っていうのがまさにこれに当たると思うんだ。
政府は人々を「国民」だと思っていたが、政府は国民の役に立っていたわけではなく、もはや思ったようには動いてくれなくって・・・





あれ読んで、フランス語勉強したいって思ったよ。
こうやって本を読むことがまさに「仕事じゃなくて努力」だと痛感した。

明日からついにねじまき&カフカを読みます。