60年代イギリスを体感した。

世代間対立とかってどの時代にもあるよね。
特に有名なのはイギリスの60年代でしょう。
当時のオトナは戦争を生き抜いてきて、彼らは彼らなりに自分を犠牲に国を守り、若者たちは自分たちのお陰みたいな自負があるのだけど、若者にしてみればオトナっていうのは身勝手で、果たしてベトナム戦争が国のため、若者のためといえるだろうか、という疑問が生じるわけで。


今日ね、うちのリビングでおじいちゃんとおばさんが口げんかしてた。
うるさかった。すんげー。だから二人にうるさいからやめろって言ったわけ。
そしたら俺の母親とおばさんがきれて、お前はいつも女性に対して不当な扱いをするだとか言われて
極端なフェミニズムはこれだからこまる。全てのことを女性だから不当に扱われると勘違いしている。
程度を超えるとフェミニズムは言い訳の理論武装に過ぎない。
そして、いつものことだけれど、こういう、「扶養してもらってる側だってことを自覚しろ」
うるさいのが不愉快だからうるさいって発言することが「目上の者に対する敬いの心の欠如」と言われるのだったら、何てこの世界はすみにくいのだろうと思う。
実際お年玉とかもらってる身なので、そういわれると不利です。
でも、扶養してもらってるのだからといってそれを弱みのように利用するのなら、はじめからそんなやつの扶養は不要、なーんてねw
まずは弱みを握るだけの人からはお年玉を受け取らないことにしようと思いました。
あと学費だって自分で払えることなら払いたいと思っている。
親でさえ弱みを握られたくないよ。俺は人に甘えたくはないのです。甘えたくはないし、甘やかされたくはないのです。(本当に辛い時、友達にだけ甘えますがorz)


大抵の「上の世代」はいつだってそうやって下の世代に対して「上」っていう意識をもっているが、上のものが下のものを大切に扱うのは当たり前であって、弱みを握るために大切にするわけではなかろう。
下のものは上のものを選べない。
家族では親を選べないし、会社では上司を選べないし、学校では先生を選べないし。


実は我々は政治家ですら自由に選べていないのだ。


だから一刻も早くそういう上下の世界から独立したい。
まずは一人暮らしをして、自分の腕を信じる職に就いて、学校を卒業し、腐った政治家を信用しない、そういうオトナになりたい。


俺が上のものになったら、あんまり上とか下とか言いたくないなぁ。
サークルだったら後輩に対してどちらかというとイーブンな関係でいてほしいし、逆に後輩の困ってるときにイーブンな関係で助けたいし
バンドだったら、あんまりあれこれ言いたくない。俺が意見を持っているように、相手だって意見を持っているだろうから、別に俺がとやかく言うべき問題じゃない。
家庭だったら、夫としては妻に対して「俺が稼いでるんだから」家事をやれとか子育ては女の仕事だとか言いたくない。そんなくらいなら俺が主夫になる。親としては子どもは、そうね、キャッチボールしたいな。キャッチボールに上も下もない。二人の人間が心を込めて相手にボールを投げてそれをもう一方が受け取るだけ。
仕事だったら、部下を使うとかじゃなくって、この分野は君がプロフェッショナルだから任せる!っていうような、仕事を与えるとかじゃなくって任せる、っていうそうゆう表現、また精神的にそうでありたい。


実際はどうなのかな。


不安だよ。
俺は自分の仲間を大切にしているのか、最近の不安。
みなさん、俺に大切にされていますか?
俺は時には自分を犠牲にしてでも大切にしているつもりなのだけど、それは本当ですか?
全ての行為は善意によるものだと思ってるけれど、受け止める側は必ずしも同じようには感じない、これが世の中の一番難しいことじゃないかな。
経済学とかだとアウトプットとインプットは同じサイズになるはずなのだけど、特に心は違うよね。1を伝えたいなら100はアウトプットしなきゃいけないかもしれない。
みなさん、俺に大切にされていますか?



甘えたくはないし、甘やかされたくもない。