僕のすべきこと(want to doではなくneed to do)

この週末、僕はやりたいこと以外にやるべきもしくは僕がやらないといけないことの存在を知った。


今日はアビーのライブでしたが、昨夜練習してるうちに喉を潰してうまくできなかった…もちろんこういう言い訳を言う時点で僕はボーカルとしては三流だね。ビートルズとしては一流たる自信があるけど。
でも、何人かが伝わるものがあったって言ってくれて良かった。声の調子が悪いかわりにただひたすら気持ちを伝えようと思ったので。
とくに今日はMaybe I'm amazedを歌いたくて、歌詞にも出てくる「僕が間違っている時にそれを指摘してくれる人」のことを歌いたくて、結果としてまだまだだけど何人かには伝わったことが嬉しかった。
何度もくどいけど、息+音→声で、声+気持ちではじめて歌だからね、ボーカルとしては技量うんぬんだけでなくて伝えたい気持ちが大事だよね。
少なくともMaybe I'm amazedはその人に対する感謝を精一杯表せたと思う。多少雑だったけれど、今回はがむしゃらに気持ちを伝えたかったから、僕は満足。
原曲だってそうでしょ?歌のうまさもさることながらポールは何かをうったえかけているでしょうあの歌の中で。
やっぱり単に歌詞を覚えただけとか、ましてや覚えもしない状況での歌は「歌」じゃなくて単なる音だからね、決していいボーカルではなかったけど、僕のその人に対する感謝のきもちについてはスッキリできた。ありがとう。


あとはね、改めて観客あっての演奏サイドだなと。せっかく見に来てくれた人に原曲通りかそれ以下の演奏をすることは非常に失礼。僕はがむしゃらに自分の心を伝えて行きたい。ビートルズの音楽は僕の気持ちを伝えるための媒体なんだよね。小説家が文字を通して、作曲家がメロディを通して自分を表現するのと同様に、僕はビートルズで自分を表現したい。暗にね。


あとね、僕は自分をあえてきつい状況に追い込むことの素晴らしさを知った。そしてそのきつい状況が必ずしも精神的にきついわけではなくむしろ充実するケースを考えた。
今のままで満足できない。そろそろ実力も蓄えて、オーディションを受けようと思っている。きっと苦戦すると思うけれど、僕の人生の中でそういう自分を表現することはいずれにせよ必要なことだし、またあえてそういう苦しい状況に追い込む必要がある時期だと思う。
ただし僕は現実を忘れるつもりもない。しっかり経済学やその周辺領域を学ぶつもりだし、ちょっとした論文も出すつもりだし、あくまでそれを本業として、更に自分を追い込むために、そして人生の経験値を積むためにそうしようと考えているし、実際それは始めること。


あなたは僕を8の字に躍らせる・・・・教えてくれ、教えてくれ!

ゼロ

ついにKOもはしかで休み。せっかくゼミとか軌道にのってたのに、まぁバンドでもやりますか。
一年くらいぶりに自分の居場所が見つかったからね、とことんやらなきゃ。

今日は四か月ぶりに駒込に行った。明日の五月祭のバンド(ウイングス)の練習でね。
葬儀会場と同じ道を歩くことは複雑な気分だった。その道はこの前と全く別物だった。まるでそこに原爆が落ちたかの様にね。
あの道はもはや過去には通じていない。僕はようやく未来に向けてスタート地点に立った。
あの道は未来への道。僕は未来へ向かって一歩走り出した。


…あ、ギター忘れた


歌で人を感動させられるように明日頑張る!

1からではなく0から始めるんだぜ



明日昼過ぎからWingsの真似事をさせていただきます。ミニキテネ。久々にほえます。

『おいしいコーヒーのいれ方Second Season I 蜂蜜色の瞳』今日発売

売ってなかった・・・orz


今日は紅の豚やってましたね。
彼を見ていると、うん、豚でもかっこいいのですね。
飛べない豚はただの豚。
なんとか教授みたいに、僕を素因数分解したときに残るものって、バカとアホとビートルズと何なのだろうか、少し心配になったw


結局、明日から五月祭やるみたいですね。僕も二日目の後のほうで出演するのですが、建前的には一年生として頑張ります。
自分の演奏もさることながら、アビーを発掘しようと思います。


とある方が「過去一ヶ月の日記を見た」などというものだから、僕もタイトルだけ、バックナンバーを全て読み返してみた。
するとね、僕の日記はだいたいいくつかの章にまとめることが出来てね、色々問題を抱えながらも健気に生きる姿はなかなかイカシテルと思うわけですが、何であの時ああいう風に思ったんだろうか、と思うことが多い。
今の僕が万能とは言わない。今の僕が手に入れたのは、副業的ビートルズに目覚めたことくらいかな。でも、それがものすごく大きなものでもあるわけなんだけれど。
とにかく今は精神的余裕があって、そういうときに、精神的余裕のない過去の自分を見ると、見下すわけではないけれど、幼稚だなって思う(いや、やっぱり見下してるか)
とりあえず未熟児なのだろうけれど、成長の度合いは人よりも大きいと思う。伊達に毎日日記つけてないね。しかも、家康が馬の上で糞垂れたのと同じように、僕も自分の恥ずかしさをこのようにわざわざ公開して戒めているわけで。


やはり精神的余裕なり充実が非常に大事だと思う。
そして余裕のあるものが余裕のないものを満たす。僕は精神的に余裕がないと歌えないことがわかった。
もちろん発声も大事だけど、
息の上にのせた声の上(ココまでで音)に更に、僕は気持ちをのせる(ここで初めて歌)ことに気がついた。

99.9%は仮説

こういうタイトルの新書が光文社から出ているのだけど、僕にとって早速の仮説は、この本はつまらないと思うこと。
実際、僕は現実を数値的に明らかにしたものでなければ本としての価値を見出せなかった。
小説はあくまでもフィクションで、現実には役に立たないと思っていたし(実際は自分が経験できないことまで人間的な経験として積み上げられると思う←これもまた仮説)
この類の「○○は××だ」という本も僕は信じなかった。理由などない。あくまで、そういう前提・仮説を置いて僕が生きているというだけだ。


僕はこのように人一倍信じている仮説が多い。僕の価値観で物事に勝手な判断を下す。すると僕は物事を実際に確かめる前に結論を下してしまう。もしかしたら自分の考えとは違う秘められた可能性があるかもしれないのに、僕は疑おうとしない。
その結果ちょっぴり人生がつまらなくなる。
多くの人は、例えばある音楽について、この音楽はこれがいいよね、と思ったりするところ、僕の場合はこの音楽は僕が好きになれない(という仮定の存在)から、聴く必要がない、とする。
もちろん大げさな表現だけど、99.9%が仮説なら、僕は0.1%のことしかモノにできていない。


だから僕は仮説で勝手に物事を判断せず、いろんなことを知るべきだ。もっともこれも仮説なのだが。
この仮説が正しいかはおいておいて、とりあえず仮定すると、僕は自分の価値観の外を認めなければならない。
だから僕は自分の納得のいかないことを、「納得がいかないと納得する」のではなく、納得のいかないことに正面から当たってみようと思う。納得のいかない他者の考えなりを曲げるのではなく、耳を傾けてみるということだ。



O井タソからもらった中村一義(ビートルズ臭きついw)と、昨日買った五冊の本と、外バンの練習だけが僕を癒してくれる。
内省的な時は一日本が五冊は必要だね。そろそろまた何かびっくりするような本を探しに行かなきゃ。僕になかった新しい価値観やものの考え方を目にするんだ。僕に足りないのはそれ。
結局、自分の考え方が非常に狭い世界の中に限定されると、他者が理解できない。他者を理解できない者は他者に理解されない。そんなやからが歌を歌っても何の説得力もない、という仮説に僕はぶちあたった。
だから僕は一つ一つ、外に目を向けようとしている。




I've got a feelingを歌うとすっきりするね!

歌う。

僕は、歌なんて嫌いだった。自分が下手だから。
だからろくに練習もしなかった。


でも、最近本当の意味でやっと歌の素晴らしさがわかったんだよ。
やっぱり歌に力を入れる音楽って響くじゃん?心に。
例えば異国の言語でも、何か感じる歌はあるでしょう。あれこそ気持ちが伝わっている証拠だよ。
人間だって、言語以外に気持ちを伝えられるさ!


もちろん楽器のすばらしい演奏も響くけど、歌はもっとすごいよ。
何より、歌は最高に個性あふれる楽器だからね。同じ歌詞で同じメロディでも、歌手によって何通りにも聴こえるんだ。
僕はまだまだ歌はうまくないけれど、歌で何かを伝えようと思う。気持ちを、歌詞やメロディという媒体にのせて伝えたい。

誰かの話

tenkabito2007-05-22

寝ぼけてたのか寝てたのか起きていたのかよく覚えてないけど、とにかく夢か現の中で聞いた話。
話しての男が、子供の頃、雲を目の前で見たくて、親に頼んで富士山に一緒に登頂した。雲を目の前で見ると僕は感動した。僕は雲をリュックに詰めて持ち帰ろうとした。だけど雲はうまく中に入ってくれず、僕はひたすら泣いた。

ある時急にこの話が思い浮かんだ。僕はこの話を気に入った。
第一に親は子供の無邪気で、大人の目からはほぼ無価値のお願いを聞いてやってわざわざ山を登ったこと。
第二に、雲というのは、遠くから見れば形も色もついているのに目の前にくると実態がつかめないこと。人生でこういうことってない?あるオブジェクト(文字通り)に対して近付いて初めてむしろ遠ざかったような気持ち。
第三に泣いた子供がいい。子供はほしいものが手に入らない時どうしてそれが思い通りにならないのかが理解できない。逆に全部理解しちゃって、簡単に「雲は手に入らない」と決め付ける人生はつまらない。泣いて、泣くだけ泣いて、どうしたら手に入れられるのかを考える方が楽しい生き方だと思う。
また、親もそのことを知って、子供と山登りしたと思えば納得がいく。

ありがとうとごめんなさい

昨日は疲れてたからそのまま寝てしまったらしい。
朝目覚めて第一にしようと思ったのはBeatorzのみんなに感謝の気持ちを声で伝えること。昨日はありがとう、楽しかったよってね。実際はしなかった(できなかった)のだけど。

口は災いの元だね。
僕は飾ったりするのがうまくないから、思ったことはそのまま伝えてしまう。要は気遣いができない。
だから僕は人をいつも不愉快にさせてしまう。身の回りにどれだけ僕に不愉快にさせられた人がいることか。
気付けば僕の周りにはよっぽど温厚な人かビートルズ好きな人しかいない。
僕は自分が人間として子供だってことをよく知ってる。自分の感情が激しくて、自分勝手なやり方が嫌いなんだ。世の中のことで一番嫌いなのは自分自身なんだ。
それで僕は自分が幼稚で、周りから取り残されて自分だけ精神的に充実しないことが悔しいんだ。
人に人格なり演奏なり実力なりを理解されることを人一倍求める性格だけど、実際は理解に苦しまれていることが辛くて悔しいんだ。
周りにいくらでも人間的にすばらしい人がいっぱいいて、こっそり真似てみようとするけど、僕はちっとも大人にはなれていない。
別によく思われたいからそうしたいんじゃない。僕はただ普通以上になりたい。
本当に僕はイヤなやつだよ。
僕は自分が憎くて、そんなに憎い奴が、どこからどうみても自分であることが辛い。どうして僕はよりによって一番イヤな奴なの?
僕は今朝起きると第二にあいつを殺したい衝動にかられた。

しかしあいつは自分だということに気がついてしまった。


僕がビートルズ原理主義固執するのも、演技に没頭することでその間自分を殺しているからだと今思った。
僕はあいつがいつまでも変わらないことが死ぬほど憎い、とにかく悔しい。
人のせいにはしないよ、あいつは僕自身で、あいつのやらかしてきたことは僕に責任があるし、僕が変わらなきゃ死ぬほど憎いあいつも変わりゃしない。
どう考えても僕が悪かった。